2004年 西武豊島線・西武園線を走る初期型101系 175F・191F特集

この記事は約4分で読めます。

こんにちは。10月の列車です。

私が電車の写真を撮り始めたのが2003年、西武鉄道の名車101系(初期型)が本線(多摩湖線・多摩川線以外)系統から引退していったのが2004年末。本当に運が良かったというか、写真に残せて良かったと思っています。まぁ、私が一番好きだったのは701系・401系なんですけど…でも今でも三岐鉄道などで会えるのが嬉しいですね。

さて、この記事では、2004年3月と8月に撮影した、西武101系(初期型)の4両編成が支線でのんびりと運用している姿をご覧頂きたいと思います。最初は夕方の豊島線、続いては昼間の西武園線での姿です。

ここに登場する編成は2編成だけです。ひとつは191F、もうひとつは元試作冷房車の175Fです。角形ベンチレーターが特徴でしたね。175Fと191Fは互いに連結して走ることも多く、誰が呼んだか「イナゴ幕府」なんてあだなを頂戴していたのをなつかしく思い出します(「幕府」は、クハ1192→いいくにつくろう鎌倉幕府 から来ていると思われます・笑)。

広告です

2004年の西武鉄道豊島線・西武園線へ タイムトリップ!

豊島線の175F

豊島園駅2番ホームに停車している175Fです。今の豊島線は、一日中池袋へと直通しているダイヤになっていますが、この2004年頃は夕方になると、練馬~豊島園の一駅を行ったり来たりする運用が1運用ありました。その運用にはきまって新旧101系が入っていた、なつかしい時代です。

反対側のクハ1176側から見たところ。もと試作冷房車の特徴である角形ベンチレーターがよく見えますね。分散クーラーと集中クーラーを比較検討した試作冷房車は全部で5本が勢ぞろいしましたが、そのうち3本は4000系に機器を譲るためかなり早く廃車になり、残った2本は集中クーラーに統一のうえ、角形ベンチレーターが取り付けられました。その中で最後まで残ったのがこの175Fというわけです。

なにげなく車内を写した写真ですが、古いデザインの西武鉄道路線図、黄色い壁紙、今じゃ見られない?たばこの広告など、ここにも「時代」が詰まっています。

西武園線の191F

これは私が乗ってきた191Fを前(クハ1192側)から写したところです。運転士さんが私の姿を見て、一度は消したヘッドライトをまた点けてくれたので、お礼を言ったのを覚えています。

1世代前のLED発車案内表示機、夕方の東村山行き。8月なので西武園ゆうえんちやプール帰りの人たちが乗っているはずです。

別の日の西武園行き。なぜかホワイトバランスをいじったので、奇しくも若干セピア調になりました(笑

連日のように西武園線の運用に入っていたので、あちこちで撮っていました。ここは有名な撮影地「北山小学校裏」ですね、でもこのときは私以外誰もいませんでした。

北山公園沿いのちょっと盛り上がったところですね(現地に行ったことある方ならわかるかも?)。

西武園線の175F

北山小学校うらの小さな踏切を通過する175Fです。Hゴム支持のドア窓が懐かしいですね。

夏らしい緑のなかを、東村山行きとして駆け抜けて行く175F。

撮影を終えて、西武園駅にやってきて175Fを迎えるところです。こういう肝心な所でしっかり陰がかぶってしまうのが私らしいですね(笑 でも載せます。大事な想い出なので。

14時過ぎの東村山行きは誰もいなくて、ただただクーラーの音だけが響いていました。

東村山駅では1番ホームに到着し、回送電車になりました。ちょうど車両交換の時間なのでした。背後に見えるボウリング場、東村山カクリボウルがめっちゃ懐かしいです。

やがて時間になると、ポイントをごとごとと渡って、175Fは南入曽の車両基地に向けて帰って行きました。だだっ広かった一大ターミナルの風格をもった東村山駅は、もう戻ってきません。

以上になります!

いかがだったでしょうか。

というわけで、愛しの「イナゴ幕府」の姿をお届けしました。本線系統引退の3~4か月前と言うと、今ではあちこちから撮影者が詰めかけて大変かもですが、この頃は本当にのんびりとしたものでした。西武線沿線のファンしか撮ってなかったのかな? でもみなさん、引退関係なくても、何でも撮っておくものですよ。今はデジタルカメラなので、フィルムがもったいないとか考えなくていいのはほんとうにいい時代なのかなと思います。練習で撮ったあの列車も、いつかみんなに注目される時が来るのですから。

最後までご覧くださり、ありがとうございました。

タイトルとURLをコピーしました