こんにちは。10月の列車です。
現在は、元中央総武緩行線のお古であるE231系3000番台と、209系3500番台によるワンマン運転が行われている八高線~川越線。電化された当時は、新車として投入された209系3000番台4本と、ちょっと変わった経緯を持つ103系3000番台5本、そして割とまともな改造車、103系3500番台1本という陣容でした。この記事では、6本あったウグイス色の103系の姿をご覧にいれようと思います。
あの頃の八高線・川越線へ、タイムトリップ!
異色の103系、3000番台
103系3000番台は、純粋に103系として造られたわけではありません。車体が製造されたのは、なんと旧型国電72系。床下機器はそのままに車体を乗せ換えた更新車として103系そっくりの車体(当然非冷房)が造られたのです。72系の車体乗せ換えリニューアル車として、宮城県の仙石線で吊り掛けの音を響かせながら4両編成で走っていました。
それが、川越線が電化されることになり、床下機器と台車を103系のものに交換し、晴れて103系の一員となりましたが、出自や細かい仕様の違い、また高運転台なのに非冷房という特殊性から3000番台に分類されました。クハ103-モハ103-クモハ102の3両編成で高麗川~川越間で使用されましたが(残りのサハは青梅・五日市線で使用)、八高線が電化されるときにサハも編成に戻って4両編成に戻り、廃車まで八王子~川越間を闊歩していました。
半自動ドアは、ボタン式ではなく手で開け閉めする方式だったんですよ!冬の日は取っ手に触ると静電気がピリっと来て痛い思いをしたものです(笑
隣の機関車はEF65-1045のようです(今は番号が変わっているかも?)。またこの当時はまだ拝島駅の橋上駅舎化前で、八高線のホームも今より狭いままでした。このような撮り方も今は出来ません。
川越線を行く103系3000番台
入間川鉄橋を渡り、西川越駅へ向かって坂を下ってくる103系3000番台です。逆光ですがドアの取っ手やインバータクーラーなどで3000番台と分かりますね。
入間川鉄橋を渡る103系3000番台です。
入間川鉄橋から的場駅へ向かって坂を下りて来る103系3000番台、高麗川行きです。
高麗川駅で、キハ110系とのツーショット。高麗川駅も橋上駅舎化の話が進展しているそうで、駅の風景も大きく変わりそうです。
この(旧)カワ53編成が最後まで残ったような気がします。皆さんは川越車両センターの編成のこと、「ハエ○○編成」と呼びますか?それとも「カワ○○編成」でしょうか。私は、社員の方がことごとくカワ○○と呼んでいるのを知ってから、カワ○○と呼んでいます。
孤軍奮闘していた103系3500番台
209系4本と103系3000番台では足りなかったのか、もう1本103系の改造車、3500番台が1本用意されました。こちらの改造車は、純粋に103系量産冷房車として造られた103系基本番台のうち、新しめのクハ2両・モハユニットが用意され、ドアが半自動ドア対応に改造されたものです。
車内はとくに普通の103系と変わらないんですが、、、
こんな感じのドアボタンが取り付けられていました。それ以外は純粋な103系であり、クーラーも集中タイプのものでした。
ちょっと荒い画像ですみませんが、車外はこんな感じのコンパクトなボタンでした。
拝島駅の脇の「日本一長かった踏切」で撮った103系3500番台と、それを置き換えるべく山手線からやってきた205系3000番台とのツーショットです。この踏切も、205系3000番台さえも今は過去のものに…。時の流れは思った以上に速いですね。
以上になります!
いかがだったでしょうか。
異色の存在、103系3000番台はほんとうにおもしろい車両でしたし、その後を継いだ209系も205系もE231系も、みんな彼の跡を継いで3000番台を名乗っているのが印象的です。103系3000番台のような珍経歴改造車は、近い所では西武鉄道9000系もありますが、今後はなかなか出て来なさそうな気もしますね。
最後までご覧くださり、ありがとうございました。