2004年の西武鉄道多摩湖線はこんな様子だった!101系、新101系、国分寺駅旧ホーム跡

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こんにちは。10月の列車です。

今から18年前、2004年に撮影した西武多摩湖線の様子です。多摩湖線(当時は国分寺~萩山がメイン)のワンマン車両は、拝島線の玉川上水の車両基地から萩山や小平に回送されてきました。このため拝島線内を回送電車として飛ばしていた様子をお届けします。

また、この頃はまだ国分寺駅北口の再開発ビルは建っておらず、平成2年(1990年)に移転した多摩湖線ホームの古い方の残骸と思われるものがまだ、残っていました。こちらもご覧頂ければと思います。それでは、参りましょう!

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2004年の西武多摩湖線に、タイムトリップ!

2004年当時の国分寺~萩山間の主役、新101系ワンマン車です。257F、259F、261Fの3本が改造され、1998年の国分寺~萩山間ワンマン化から2021年2月に最後の259Fが撤退するまで、少なくとも23年間は多摩湖線暮らしをしていたのでした。まだこの時点では、車内などのリニューアルはされていません。

351系3本(中間サハ除く)が多摩湖線にやってきたのは昭和48年(1973年)頃、と詳しい方よりお聞きしたことがあります。351系の引退は1990年なので、17年の活躍。351系より新101系のほうが、長く多摩湖線暮らしをしていたことになりますね。

続いて、初期型101系ワンマン車。たぶん225Fかと思います。こちらは多摩川線ワンマン用に217F、219F、221F、223Fの4本が改造されましたが、追って予備編成として225Fも改造されました。ひとつ上の新101系もそうですが、電気連結器が取り外されているのが特徴です。

余談ですが先頭車両の上に、線路をまたいで掛かっている三角屋根。なんのための物かわかりますか?実は、ここは2013年まで拝島線・多摩湖線を分割併合していた位置。作業員さんが雨天時濡れないようにするための屋根です。萩山駅がリニューアルされた今、2022年現在もそのまま残っており、往時を偲ぶことが出来ます。

拝島線を駆ける多摩湖線用ワンマン車

ここからは、拝島線の玉川上水車両基地を発車して小平へ向かい、夕方からの運用に入っていた多摩湖線ワンマン車の姿を紹介します。

玉川上水車両基地を出発し、本線に合流するところです。回送電車なので玉川上水の駅には入らず、引き込み線的な所から直接出発していました。今も多摩湖線9000系の回送電車や、一部拝島線の回送電車も同じような形で走っています。

拝島線の長い直線区間を、トップスピードで駆け抜けてゆきます。

小川駅1番ホームに停車している回送電車です。この頃は小川駅や萩山駅を通過することは信号の関係上出来ず、回送電車でも必ず停車していました。2008年、拝島快速の運行開始に伴って信号が改修され、通過することが出来るようになりました。

小平駅に到着した回送電車です。このあと花小金井方の引き込み線に入り、西武遊園地行きとなって折り返して行っていました。

1番ホームに入ろうとする初期型101系 西武遊園地行きの横を、新101系の急行西武新宿行きがかすめていきます。今やすっかり3ドア車は鳴りを潜め、こんな光景はまず見られないですね。なにげなく撮っておいて本当によかったです。

国分寺駅多摩湖線ホーム、旧ホームの残骸

最後にご覧にいれるのは、車両ではありません。

西武多摩湖線国分寺駅ホームは、その長さの関係上平成になってもクーラー付き20m車両の4両編成が入れず、1両17mでクーラー無しの351系を使わざるを得なかったため、1990年(平成2年)6月にホームを北側に移転、80mある立派なホームを拵えたのは皆さまご存知のことと思います。

そのホームの跡地はすぐ道路や駐車場になりつつ、現在は北口の再開発ビルが建ってしまっていますが、この2004年当時は、なんとまだホームの残骸らしきものが駐車場の隅に残っていました。

右奥の黄色い車体が見えている部分からこちらへ向かってカーブしてきて、画像右側に向かって線路が延びていました。

このような感じでホームの跡らしきものが2004年当時はまだ、残っていたのです。背後の北口出入り口も懐かしいです。

そう言うと、南北自由通路がまだなくてJR中央線と西武国分寺線が同じ改札内だった頃を思い出すよ!という方もいらっしゃるかも。歴史的にも中央線と国分寺線は、兄弟みたいなものですからね。そこまで昔だとさすがに記憶は無いです。

背後に新しく造られた連絡通路を望む、新旧の共存する風景。ここにも勿論再開発ビルが今は建っています。

そういえば「なぜ国分寺駅の6番ホームは無いの?」と疑問にお思いの方もいるでしょう。実は多摩湖線ホームの1990年引っ越し前は、6番ホームと7番ホームの2線あったのです。ですが駅の改良工事の進展に伴って6番ホームのほうだけ閉鎖され、7番ホームだけがそのまま引っ越しした新ホームに受け継がれて、今の形になったというわけなんです。

今日はここまで!

いかがだったでしょうか。

西武多摩湖線の車両は玉川上水の車両基地に属している関係で、今でも9000系が玉川上水~萩山間をトップスピードで駆け抜ける姿が見られます。国分寺駅のホーム跡は、当時はもっと注目されてもいいんじゃないかと思っていましたが、21世紀まで残っただけでも、私が写真に残せただけでも奇跡と言えなくもないんじゃないかと思っています。

西武多摩湖線の写真はまだまだありますので、順次記事にしていきますね。

最後までご覧くださり、ありがとうございました。

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