2011年7月 JR信越本線長野~直江津間を189系普通列車「妙高号」で乗車した! -その2-

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こんにちは。10月の列車です。

この記事を更新した2024年3月1日は、もう北陸新幹線の金沢~敦賀間の開業まで2週間まで迫っていますが、今回はまだ「長野新幹線」の時代であり、篠ノ井~長野~直江津~新潟が「信越本線」というひとつの名前でつながっていた頃、2011年7月の話です。1997年まで信越本線の特急「あさま」として名を馳せた189系特急電車が、信越本線の長野~直江津間をむすぶ各駅停車の普通列車「妙高号」として走っていたので、それに乗車して長野駅から直江津駅まで旅をしたときの写真、第2回のはじまりです。

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2011年のJR信越本線に、タイムトリップ!

途中停車駅の風景

これは飯山線の分岐駅 豊野駅を過ぎ、二つ目の古間駅だったかと思います。もともとはすれ違い可能な長いホームと線路が2つずつあったのに、本数減少でそのうち片方は使用中止されてしまい、朽ち果てています。かつては長大編成の特急、急行といった優等列車が行き交ったであろう信越本線も、この頃は東京から新潟へは上越新幹線、北陸地方へは「ほくほく線」が開業済みで、静かに役目を終え始めていたのかもしれません。

列車の中から車窓風景を写すとき、私はこんな風に 列車の窓枠や座席をフレームみたいに扱って撮るのが好きです。景色の周囲で静かに主張している小物たちも、時が経って貴重なものになるのですから。

黒姫駅に到着です。ここで反対方向、長野行きの普通列車「妙高号」とすれ違いました。あちらも189系を使用した、優雅な旅を味わえる普通列車です。

うっすらですが、「モハ189-39」という車両番号が見えます。私のいる先頭車両とは違い、列車の中間車両はそこそこ乗客が乗っていますね。

長野支社管内……もしくはしなの鉄道線内での座席定員制列車にもこの6両編成の189系電車は使用されていたような気がします。これはその乗車整理券を入れておくホルダーですかね。もちろんJR化後に後付けされたものです。

いまは しなの鉄道北しなの線と、えちごトキめき鉄道妙高はねうまラインの境界駅となって、乗客が乗り継ぐ光景が見られる駅となっている妙高高原駅。もちろんこの日は、189系電車に乗ったまま直通で過ぎ去ります。長距離列車が分断されて寂しくなる反面、地域に合ったきめ細かな輸送ダイヤが実現しやすくなる。新幹線の台頭で、在来線は役割を転換していっているのですね。

有名な、スイッチバック駅の二本木駅です。いくつか写真は撮ったのですが、トキ鉄になった今もスイッチバックはしっかりと味わえますので、今回は割愛させていただきます。

忍び寄る北陸新幹線の姿

真新しい高架橋が、青空を横に貫いています。もう皆さまお察しの通り、当時は長野~金沢間の延伸開業を目指して鋭意工事中だった、北陸新幹線の高架橋です。あと数年で、信越本線の名をこの区間からは失うのだという事を、いやでも実感させられます。

この小さな駅の名は「脇野田(わきのだ)駅」といいます。今そんな名前の駅は無いですね。廃駅でしょうか?いいえ、この駅は姿を変え、新幹線接続駅の「上越妙高駅」に生まれ変わったのです。なお、新幹線接続にともなって駅の位置が変わり、周囲の線路も付け替えられました。それに伴い北陸新幹線開通の前日まで、あたらしい上越妙高駅が「脇野田駅」として営業しているという、奇妙な期間がありました。

脇野田駅を過ぎ、北陸新幹線の高架橋は糸魚川駅を目指し、左にカーブを切っていきます。線路の形も大きく変わり、一見すると縁がないような北陸新幹線と信越本線。しかし、この険しい山越えの区間に古くから鉄路が敷かれていたからこそ、今をときめく新幹線の歴史につながっているのです。

もうすぐ終点直江津駅。ふたつ手前の高田駅は、上越市の中心駅。ここで115系の反対列車とすれ違い、「妙高号」の旅はまもなく終わりです。

え~っと、直江津駅で無事降りたのに降りた189系電車の写真も撮ってない、撮ったかと思ったらなんか中途半端なカット……。まことに恐縮であります。でも大丈夫です。別の機会に、左側のほくほく線HK100形も、右側の新潟色115系もしっかり撮影はしてあるので、後悔はしていません。この直江津駅、今は丸ごとトキ鉄の所有になり、ホームの待合室を「学生専用自習室」にするなど、ユニークな施策が話題を呼んでいますね。

以上になります!

いかがだったでしょうか。各駅に停まる普通列車でありながら、かつての名列車「特急あさま」用の189系特急電車を用い、需要が少なくとも快適に利用できるように仕立てた、JR信越本線の指定席付き「普通列車 妙高号」。今だったらこんな大盤振る舞い大サービス列車はあるのでしょうか?

かつて上越線が未開業の頃、苦難の末に碓氷峠を越え、重要幹線として名を馳せた信越本線。そのプライドを最後に見せつけてくれるかのように「普通列車 妙高号」は力走していました。まもなく敦賀へと延伸開業しようとしている北陸新幹線が今こうして輝いているのは、信越本線や北陸本線といった古来の在来幹線が、しっかりと人の動く道を確保してきたからこそ。軌間や車体規格は違っても、在来線と新幹線は、切っても切れない固い歴史の絆で結ばれており、それはきっとこれからも長く続いていくのでしょう。

最後までご覧下さり、ありがとうございました。

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