こんにちは。10月の列車です。
JR山手線といったら、東海道新幹線と並んで 日本を代表する鉄道路線といっても過言ではないでしょう。そんな山手線には、もちろん常に新車が入れられてきました。しかも、車両の寿命を待たずに、かなり早いサイクルでです。「山手線のお古」として各地へ散っていった車両も数知れず、です。
今回は、2004年4月に撮影した、まだ205系が残り、E231系500番台がだんだんと増え行く過程にある山手線をご覧にいれたいと思います。それでは、どうぞ!
2004年のJR山手線へ、タイムトリップ!
巣鴨の桜並木(すでに葉桜ですが)で撮ったE231系500番台です。山手線向けの500番台は、JRで初めてドア上の次駅等案内表示に液晶画面が本格的に採用され、話題になりました。今やどの鉄道会社でも標準装備品になった液晶案内画面は、この車両がパイオニアなんですね。今は全編成、中央総武緩行線に転出して、引き続き活躍しています。
第二中里踏切
今や山手線唯一の踏切となった、駒込~田端間の第二中里踏切です。この踏切も近い将来に廃止が決まったそうですね。その踏切を通る205系一段下降窓車を写していました。205系が最初の4本だけ田の字窓で、5編成目からこうなったのは、国鉄のお偉いさんが、車両メーカーで205系の隣にいた横浜市営地下鉄の車両(だったかな?)を見て、「これはいい、205系もこのような窓にしてくれ」と言ったとか言わなかったとか…。
踏切待ちの親子さん。左側の男の子も、今や立派な社会人…のはずですよね。
これは…たぶん田端駅だと思いますが、レトロな案内看板を撮っていました。今は田端駅もきれいになったので、この看板は多分無いでしょう…。
渋谷にて
渋谷の埼京線ホームから、(当時の)新旧のすれ違いを写していました。すれ違いってなかなか難しいんですよね(笑 小さく写しすぎてしまいましたが記録という事で。
いやぁ~、205系量産先行車に埼京線205系、そしてこれを写した埼京線ホームの位置自体までもが過去のものになってしまいました。だって2004年当時は、まだバリバリ東急東横線の渋谷駅が地上にありましたから。
渋谷の街中を駆け抜ける、205系量産先行車。めくるめく大都会の次は海を眺めて(京葉線)、今では富士山の麓(富士急行線)で活躍しているのですね。
スクランブル交差点の向こう側より。看板が…もう存在しない企業とか、営業終了してしまったお店とかそんなんばかりですね!18年の時は早い。
目黒のカーブにて
夕方、恵比寿~目黒間の貨物線を乗り越すカーブのところで撮影していました。このE231系500番台のお顔…「ガチャピン」なんて言われてませんでしたっけ?
そしてもちろん205系も撮影です。お顔が白いE231系500番台に比べると暗めに写りますね。205系たちは最終的にJRから廃車となった後、富士急行線に行った車両、インドネシアに旅立った車両と壮絶な運命をたどりましたが、解体された車両が少なかったのは幸運でしょうね。丈夫で軽いステンレス車体と、適度にアナログで扱いやすい界磁添加励磁制御が良かったのでしょうか。
今日はここまで!
いかがだったでしょうか。
私は今回この記事を作成して、205系が消えてまだ20年も経っていないんだなぁと改めて驚きでした。私にとって、山手線と言ったら今でも205系のイメージなんです。103系のイメージだよという方もきっと多いことでしょう。
いま最新型として駆け抜けているE235系も、たぶん車両の寿命を待たずして新型車両に押され、どこかへ転属なんてことになりそうな気がします。日本を代表する通勤電車の山手線は、それぐらい好待遇でもバチは当たらないでしょう。単なる輸送手段にとどまらず、日本の通勤電車の技術を示す、という役割も持っている気がするので。
最後までご覧くださり、ありがとうございました。