こんにちは。10月の列車です。
2015年、北陸新幹線の金沢~長野開通によって、金沢~直江津間の線路を手放したJR北陸本線。来る2024年3月には新幹線の敦賀(つるが)~金沢の延伸開業により、北陸本線はかつて、米原~敦賀で東海道線の一部として開業した、あの当時を彷彿とさせる「短い本線」となってしまうわけです。私が乗車した2011年は、まだ米原~直江津の全線が健在だったのに、それからわずか13年ほどの時間で、こんなに北陸本線を取り巻く状況が激動してしまうなんて、いまだに実感がわきません。
おととい(2023年6月30日)アップした「北陸本線 その1」の続きになります。今回は夜の滑川駅から、金沢まで普通列車に乗車して宿泊。翌日、敦賀までまた普通列車で移動します。まぁ青春18きっぷ利用でしたので……。駅の様子もまじえてご紹介します。
2011年のJR北陸本線に、タイムトリップ!
滑川から富山を通り、金沢駅へ
滑川(なめりかわ)駅で接続している富山地方鉄道の電車から、再びJR北陸本線に乗り換えです。きょうの宿泊地の金沢駅へ向かおうと、普通列車を待ちました。
やってきたのは、昔ながらの「急行型」475系というだけでなく、往時の急行列車時代の車体カラーを再現した、鉄道ファンにとっては胸が熱くなる3両編成でした。
途中の駅ですれ違った回送列車?の475系車両は、当時JR西日本がすすめていた「車体カラーの単色化」を施工されて青色1色になった編成でした。
車窓はひたすら夜の闇、車内には空いたボックスシートが並びます。かつて急行列車だった頃は、北陸地方へやってくる人を、また旅立っていく人々をたくさん受け入れたであろう、昔ながらの4人掛けボックスシート。後ろに見えるように、地元の学生さんがリラックスして座るようになるとは、475系電車自身、想像できたでしょうか。
終着、金沢駅に到着です。こんなお顔の車両でした。懐かしの大きなヘッドライトに胸を熱くする鉄道ファンも多かったことでしょう。急行列車カラーのこの車両に乗れて、ラッキーでした。高架線で立派な金沢駅にたたずむのも、不思議と違和感がないものだと思いました。
向かいののりばには、当時はデビューしてまだ5年目の新顔である、青いラインの新型普通列車車両 521系がいました。
この521系電車は、撮影当時も今も 敦賀~金沢間のすべての普通列車として、また米原~敦賀間や湖西線でも一部電車に使われていますが(IRいしかわ鉄道、あいの風とやま鉄道の普通列車車両も、みんなこの521系の仲間です)、敦賀~金沢間も第3セクター会社に移管したら、この「JR西日本所属の」521系の活躍の舞台はかな~り狭められてしまうのかな? そう思うと、この青いラインの521系でさえも、今後は貴重な姿になっていくということなんでしょうか。
ホームの上の「乗車位置看板」です。特急サンダーバードに混じって、なんと!大阪と新潟を北陸本線経由で結ぶ 夜行寝台急行列車「きたぐに」の表示があります! 撮影した2011年9月当時はまだ最後の活躍をしていて、2012年3月をもって定期運転を終了したそうです。このように、今は乗り継ぎが必要となった金沢と新潟とのつながりも、この時は在来線のレールで結ばれた強固なものだったんでしょうね。
新型521系普通で、金沢から敦賀へ
そして翌日、ホテルを出た私は少し早く金沢駅の改札口へ。すると、今となってはもうある意味で感動を覚えるものに出会うことになります。
え?ただの駅の案内表示じゃん、と思うことなかれ。上越新幹線とタッグを組み、越後湯沢接続で北陸と東京とをむすぶ在来線特急「はくたか」、それに 金沢・富山と新潟を結ぶ在来線特急列車「北越」の表示もあります。いくつかの鉄道会社を経由しないと今ではたどり着けない、金沢から新潟へのレール。おなじJRとして手を取り合っていた時代が、間違いなくあったのです。
このあと、6時56分発の普通 敦賀行きに私は乗り込みました。
ホームの屋根が印象的な福井駅で、30分ほど停車している普通敦賀行きの521系電車です。旧型も味があって、懐かしさで胸が熱くなったりしますが、やっぱり新しい電車は時代に合わせて快適になっている感がしていいなぁ!とも思います。
長い長い北陸トンネルを抜け、だいぶ前に交流電源から直流電源に変わって久しい、敦賀(つるが)駅に滑り込みました。いまの敦賀駅は、当面の新幹線と在来線特急の新たな乗り継ぎ駅として、ものすごい数の改札機やエレベーターなどが用意されている、巨大な駅に変貌しているそうですね。
北陸本線の2大特急「サンダーバード」と「しらさぎ」今もそうですがいくつか編成に種類があります。色とランプで上手に編成の案内をしていました。オレンジ色の車両が自由席車両のようですね。
2011年当時の敦賀駅は、こんな駅舎でした。今はもっと巨大な建物に変貌しているかと思います……。
この後は北陸本線を離れ、小浜線に乗り換え。舞鶴線→山陰本線と乗車し、園部駅から路線バスである場所に向かいました。それを最後に、おまけとしてご紹介します。
おまけ:国鉄篠山線 福住駅跡を訪ねる
かつて、福知山線の篠山口(ささやまぐち)駅から福住駅まで延びる、篠山(ささやま)線という支線がありました。建設のきっかけが軍事的な理由であることもあり、戦後は昭和の早いうちに廃線になってしまったのですが、この篠山線は、私の好きな鉄道擬人化漫画「青春鉄道(あおはるてつどう)」にも登場し、鉄道ファンのみならず、青春鉄道ファンの方が跡地散策をされることも多いそうです。
線路跡やレールがはっきり残っているわけではありませんが、終点の福住駅跡地にはこのような碑?が建てられています。
この倉庫の前にレールが伸びて、貨物輸送にも使われていたとかなんとか。
聖地巡礼記念に「青春鉄道」グッズと一緒に。左の黒髪が篠山線、右の灰髪は八高線なんです。「紙端国体劇場」というのは青春鉄道の著者の方が今でもやっている同人サークルの名称です。
ちなみに漫画「青春鉄道」においては、廃止されて役目を失った篠山線は しばらく時間を置いた後、晴れて山陽新幹線に転生したという設定になっているのです。お国の都合のために敷かれ、無慈悲に剝がされたけど、今は平和の乗り物 新幹線をやっている。そんな胸熱エピソードがたくさんあり、何とミュージカルもやっている「青春鉄道」なかなかに面白い作品です!
今回はここまでです!
いかがだったでしょうか。
2024年3月になれば、敦賀~金沢間のレールの名前は「JR北陸本線」ではなくなります。あれだけ走っていた特急「サンダーバード」も「しらさぎ」も羽ばたいていき、福井駅や金沢駅などにはやって来ることがなくなる。信越本線の碓氷峠区間が廃止されたときにも思いましたが、どれだけ歴史を重ね、乗客でにぎわっていた鉄道路線も一夜にしてその役割を明け渡し、静かに朽ちていく運命となることもある。こんなふうに最近の鉄道路線の運命は残酷ですが、新幹線という頼もしい後任が現れてくれるという事は、それだけ価値があると認められたというわけで、誇らしい事でしょう。天下の特急街道、北陸本線には十分すぎるほどの価値・役割があったのですから。
いえ、あったというのは間違いですね。第3セクター会社のものとなっても「北陸本線」と呼ばれてきた彼のレールには消えない価値がある。地域輸送、貨物輸送という代えがたい使命です。これからもレールの光が途絶えることは、まず当分ないでしょう。
最後までご覧下さり、ありがとうございました。