私と妻の583系特急電車乗車記 寝台特急「ゆうづる」は狭くて寝苦しかった!

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こんにちは。10月の列車です。

今回はちょっとスペシャル版という感じで、座席・寝台を切り替えられる「リバーシブル特急電車」として有名なゴッパーさんこと「583系」の乗車体験記をお送りしたいと思います。

しかも私が2007年に乗車した磐越西線快速「あいづライナー」だけではなく、若かりし頃の私の妻が1991年、高校の修学旅行で乗車した寝台特急「ゆうづる」の体験記もインタビューということで、ご紹介したいと思います。被写体としては撮り鉄さんに絶大な人気を誇った583系ですが、その乗り心地とは…!? ぜひ妻の話も聞いてやって下さい。

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583系電車に乗って、あの頃へタイムトリップ!

2007年、私が乗った快速「あいづライナー」

2007年9月1日、私は青春18きっぷでちょっとした旅に出ました。夜行快速「ムーンライトえちご」で新潟へ行き、羽越本線を府屋まで北上してまた新津まで戻り、磐越西線・磐越東線でいわきへ出て常磐線で帰る、という行程でした。

その途上、磐越西線の会津若松→郡山で快速「あいづライナー」に乗ることにしたのです。当時走っていた快速あいづライナーは、通常は赤べこカラーの485系による運転でしたが、首都圏と会津若松とを結ぶ臨時特急(名前は忘れました)が運転される日はそちらに485系を充当するため、あいづライナーは583系により代走となっていました。私の乗る日は583系であることが分かり、初めての乗車なので嬉しかったのを覚えています。

磐越西線のキハ110系快速「あがの」号で会津若松に着くと、早速お出迎えしてくれました583系!ちょうど郡山からの列車が到着し、一度車庫へ引きあげようとしている所でした。右に見える719系も「フルーティア」以外は狭軌の路線から引退してしまいましたね。

磐越西線のキハ110系と、会津鉄道から乗り入れてきた元名鉄、キハ8500形の「会津マウントエクスプレス」です。会津の風景によく似合っていたとは思うのですが、寒冷地ならではの故障が相次いで、新車に代替せざるを得なかったと聞きました。残念です。

お昼を食べに駅の外へ出たときの光景です。入換で踏切を通る珍客、583系。

やがて、私の乗る郡山行きのあいづライナーとして、583系が入線してきました。貫録のある姿です。国鉄時代の特急全盛期を知らない私ですが、こんな列車で昔の人々は旅をしていたんですね。

6両編成のうち、会津若松寄りの2両は指定席でした。私はこれも記念にと指定席をとったような記憶があります。今の磐越西線の電車区間は4両どころか、2両編成の列車も多いですよね…。

SLばんえつ物語号と583系が並びました!これはすごい光景。国鉄ファンからしたら感涙ものなのでしょうか。

肝心の乗り心地ですが、車内はもちろん ボックスシートの座席状態。ほかの3名分に乗客がいなかったこともあり、快適な乗り心地でした。4人で座っても、さすがは特急電車。近郊型より足元の狭さはマシかな?という気もしました。でも特急全盛期は多くの乗客がいて4人で座ることも多かったでしょうし、今なら高い特別料金払ってるのに後ろ向きかよ…リクライニングしないのかよ…と苦い顔をする人も多いでしょうね。

郡山駅の2番線に到着しました。真剣な眼差しで583系を見つめている男の子、仮に5歳だとしたら今は23歳の新社会人でしょうか。幼き日に見たいぶし銀スターの姿が脳裏に焼き付いてくれてたら…と思います。

1991年、妻が乗った寝台特急「ゆうづる」

今でこそばりっばりの鉄道ファンになった妻ですが、1991年当時は全然興味がなかったそうなので、写真はありません。途中に出て来る写真は私撮影の「あいづライナー」ですのでご了承下さい。

1991年9月、妻の通っていた北海道・札幌の某高校では修学旅行に行くことになりました。行程は、まずJRで津軽海峡を越えて(当時は特急北斗と、快速海峡でしょうか?)、青森から寝台特急日本海に乗って大阪へ。その後は京都にも行き、観光バスと寝台特急「北斗星」で札幌に帰ってくるという、鉄ちゃんでない人からしたら移動ばかりのちょっと苦しい行程でした。日程も6日か7日という長さ。

実は。妻の上の学年も下の学年も、片道は飛行機利用だったそうです。しかしなぜか妻のいた学年だけ、行程を1日延ばしてまですべて鉄道利用だったそうで、行程を決めた教師が鉄ちゃんだったのでは?と妻は振り返っています(笑

さて、何はともあれ無事に札幌を出発した妻の高校の生徒さん御一行ですが、実は大変な脅威が迫っていたのです。それは、のちに「りんご台風」と呼ばれる猛烈な台風。9月ですもんね。

青森までは予定通りに来れたものの、青森発の寝台特急「日本海」に乗り込み、各々の寝台にたどり着いた所で(この列車は2段寝台だったそうなので、24系客車でしょうか)同列車の運休が決定し、降ろされてしまったそうです。りんご台風は日本海側の各都市を通る進路を通っていったそうなので、やむを得ないことでしょう。そして、生徒たちには6時間くらい後の時刻に「青森駅に再集合するように」という指示が出されました。妻は友達とカラオケに行って時間をつぶしていたのだとか。

そして、青森駅に再集合の時間。妻の学校の生徒たちは別の寝台列車に乗ることになりました。これが、常磐線経由の上野行き寝台特急「ゆうづる」の583系だったようです。

日本海は余裕のある2段寝台だったのが、今度は3段寝台の583系。肝心の寝心地はというと…?

「狭くて寝苦しかった!」とのことです!

一応横にはなれたものの、修学旅行ですから大きな荷物を抱えていて、それを担いでベッドに持ち込まなければならない不便さ。特に上下方向の狭さに閉口したそうです。女性である妻でさえこんな感想ですから、男子生徒はもっと苦しかったのではないでしょうか? ましてや、583系の先祖である581系電車のデビューは昭和42年(1967年)。昔に比べて日本人の体格は大きくなってきています。通勤電車のロングシートの幅でさえ、今のほうが広くなっていますもんね。そんなわけで583系に憧れている特に男性の皆さん、寝台の乗り心地としてはあまり良いものではなかったようですよ。

妻は583系の寝台であまり寝付けなかったそうです。朝起きて、洗面所にいるときに窓の外を見ると「水戸」という駅名標が見えたのを覚えているそうです。1991年、3段寝台、水戸駅。この3点で583系「ゆうづる」であろうと私は断定しました。水戸駅にはずいぶん長く、30分以上停まっていたそうです。台風の影響でダイヤが乱れていたのかもしれませんね。

その後「ゆうづる」は上野駅到着。山手線で東京駅に向かい、東海道新幹線で京都へ向かいました。「ゆうづる」は複数の列車が走っていたため、妻の学校の生徒も2つの列車に分乗し、合流してから東海道新幹線に乗ったそうです。行く予定だった大阪は、台風によるダイヤ乱れで移動に時間がかかったため、断念せざるを得なかったとのこと。

帰りは予定通り、京都から東京まで観光バスで移動して東京観光し、寝台特急「北斗星」にて札幌へ帰ってこれたそうです。寝台特急「北斗星」は2段寝台だったこともあり、旅の疲れからか上野発車後すぐに爆睡し、気が付いたら函館本線の森駅付近だったとか。私も開放式寝台は2段式の上段に「北斗星」で乗ったことがありますが、2段式は狭さは全然感じませんでした。583系電車は、昭和の国鉄全盛期には威力を発揮したものの、新幹線が拡充し飛行機も大衆化し、旅の選択肢が増えてきた昭和末期や平成時代にあっては、時代遅れの存在となってきてしまったのでしょうね。

以上になります!

いかがだったでしょうか。

夢を壊されてしまったよ!という方がいたらごめんなさい、583系電車の寝台の現実をお伝えしました。しかし、被写体としてかっこいいのは同意できますし、国鉄全盛期の車両がいくつあっても足りない時代に「リバーシブル特急電車」として威力を発揮し、日本経済を支えた存在であるのは間違いありません。その時代時代に、マッチした車両と共に鉄道は生きてきましたし、これからもそうやって生きていくのでしょう。今となっては完全に引退した583系ですが、京都府の京都鉄道博物館や、福岡県の九州鉄道記念館などでは保存車両に出会うことができます。583系が一番輝いていた当時を偲んでみてはいかがでしょうか?

最後までご覧くださり、ありがとうございました。

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