2011年 JR北陸本線の電車&駅はこんな様子だった! -その1-

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こんにちは。10月の列車です。

現在の日本の「全国新幹線鉄道整備法」では、新幹線として開業した区間に並行して走るJRの在来線を、JRから経営分離するのが原則となっています。2015年の北陸新幹線、金沢~長野開業もこの例にもれず、JR東日本の信越本線 長野~直江津間、JR西日本の北陸本線 金沢~直江津間はJRの手を離れていきました。それまで、北陸地方と東京、関西、新潟などを結ぶ特急街道だった北陸本線は、第3セクター会社に移管と同時に、ローカル列車中心の地域輸送へと舵を切っていきます。来年、2024年3月には北陸新幹線は敦賀(つるが)~金沢間が開通するため、JR北陸本線として残る区間は、なんと米原~近江塩津~敦賀だけとなり、本線を名乗りながら50キロにも満たない路線へと縮まってしまう事には、さすがに寂しさを禁じ得ません。

今回は、うそのように短い路線になってしまう北陸本線が、まだ米原~直江津の全線においてJRの路線として健在だった2011年9月、私が青春18きっぷで北陸本線の普通列車に乗車した時の写真を引っ張り出してみたいと思います。残念ながら特急列車の写真がほとんど無いのですが(なんで撮らなかった?あのときの私!)、国鉄形475系や413系が急行型の魂を乗せて、北陸地方の地域輸送に徹していた当時の姿、そしてJR西日本仕様の駅の様子なども、ぜひご覧ください。

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2011年のJR北陸本線に、タイムトリップ!

糸魚川から富山行き普通列車に乗車

この日の私の行程は、自宅を出発し、国分寺駅から中央本線と篠ノ井線で松本、そこから大糸線で糸魚川という感じで西日本エリアに入り、途中で富山地方鉄道にも寄ってから、金沢駅まで乗車して宿泊するというものでした。大糸線や富山地鉄は、今とあまり車両の変化が少ないため今回は割愛します、すみません。

今はえちごトキめき鉄道の駅となり、となりに新駅「えちご押上ひすい海岸」も開業した糸魚川駅。在来線がJRのものだったことの証明です。

車体が白すぎて白飛び!ごめんなさい。475系と413系からなる、3両編成の富山行き普通列車がやってきまして、これに乗車しました。ブルーの帯があざやかです。

413系電車の車内はこんな感じで、2つの両開きドア付近と車端部はロングシート、車両中央にボックスシートがあるという、乗り降りしやすい座席配置。こういった車両をよく「近郊型」と呼びます。扉が車体の両端に偏り、ボックス席オンリーでつり革もなく通勤通学輸送に不向きな急行型電車(471系・473系)を、車体のみ解体して台車と走行機器を確保、それらに新しく造った近郊型の車体を乗せてこしらえた「下半身リサイクル」車両、それが北陸本線413系です。


国鉄時代、まだ料金が高価だった特急列車よりもリーズナブルな、でも別料金の必要な「急行列車」が都市間輸送の主役だった頃がありました。あるものは急行型電車のまま、あるものはこのように413系電車となってローカル鈍行列車に転身しても、台車や走行機器は昔、急行列車として北陸路を颯爽と飛ばした頃を憶えているかも。

もうすぐ新潟県を出ようとするところの海沿いに位置する「市振駅」。えちごトキめき鉄道の「観光急行列車」が折り返す駅となっていますね。今では昔を語る観光資源となった国鉄車両も、この頃は普通列車とはいえ、ばりばりの現役だったんです。速度を出しても揺れの少ない乗り心地が、かつての栄光の北陸本線を思い出させました。

駅名は忘れましたが、富山県内に入ったどこかの駅にこんな看板がありました。まだ姿のなかったE7系ではなく、長野新幹線の主役だった赤帯のE2系が描かれています。新幹線を待ちわびる人も多い一方、在来線である北陸本線は役目を譲り、切り売りされていく……。栄枯盛衰というのは人間だけじゃないですね。ちなみに、以下のように書かれています。

早く新幹線にのりたいのは、パパだけじゃないんだよ。ぼくも、おじいちゃんも、おばあちゃんものりたいんだよ。早くできるといいね。北陸新幹線。

今はあいの風とやま鉄道の駅となっている、黒部駅でしょうか? 特急列車の待ち合わせとかでしばらく停車しました。次の魚津駅で降りて富山地鉄に乗り換えるつもりだったので、荷物をもっていったん下車し、車両を撮っておきました。
富山行き3両編成の普通列車の内訳は、前の1両が「急行型 475系」、後ろの2両が「近郊型 413系」です。モーターや機器はだいたい同じなため、連結してもOKなのです。

ちなみに、電車前面のおでこ部分にある行き先表示器らしきものがふさがれているのは、冬になるとしょっちゅう「つらら」にぶつかってガラスが割れ、修理が面倒なので最初から使うのをやめて鉄板でふさいだ、と聞いたことがあります。北陸は雪国ですからね。

この「クハ455-702」は、運転席の無かった「サハ455」に後付けで運転台をくっつけたという、北陸では2両しかないレアな子だったようです。1番違いの「クハ455-701」は、幸運にも えちごトキめき鉄道の観光急行列車として幸せな余生を送っています。

急行型電車は車内につり革などなく、ただただ4人掛けボックスシートがずらりと並ぶものでしたが、この車両(クハ455-702)はドア近くがロングシートに変更され、つり革も取り付けたので通勤通学で乗りやすくなりました。でも、四角い窓がいくつも並んだサイドビューには、旅情を感じたものです。

富山地方鉄道の車内から

魚津駅から富山地鉄の電車に乗り換えましたが、富山地鉄はしばらく、JR北陸本線(現:あいの風とやま鉄道)と並行して走る区間があります。幸運にも、車窓からJR北陸本線の列車の姿を撮影できていたようでした。

おお!当時 越後湯沢~金沢・福井を結んでいた(越後湯沢で上越新幹線と乗り継ぐことで、東京と北陸地方を高速で結ぶ)在来線特急「はくたか」が駆け抜けていきました。しかもJR西日本でなく、レアな「北越急行ほくほく線」所属の赤い帯の車両!
この「はくたか」も、はくたか運行開始前に金沢~長岡を北陸・信越本線経由で高速で結んでいた(やはり、長岡で上越新幹線に乗り換えることで東京と結ぶ)在来線特急「かがやき」も、晴れて北陸新幹線の名前に抜擢されたのは必然的な成り行きで、納得です。ちなみに「つるぎ」は北陸を通っていたブルートレインの愛称でした。

お互いの線路が少し離れたところに、タイミングよく登場した北陸本線の普通列車。ガラス越しですが、なんか綺麗に撮れちゃいました。この列車は3両とも、ドアが内側寄りのため「近郊型」の413系です。

金沢行きの「沢」の字が見えていますね!413系の普通列車が、私の乗った富山地鉄14760形電車を追い抜いていきます。高らかに響く、413系電車の国鉄テイストの懐かしいモーター音が今にも聞こえてきそうです。

滑川駅、JR駅時代のポスターあれこれ

滑川(なめりかわ)駅は、JR北陸本線と富山地方鉄道本線の線路が並行している区間の途中にあり、並んでホームがある接続駅でした。もちろんJR部分は、あいの風とやま鉄道に引き継がれて健在で、駅舎もそんなに変化はないです。ですが、いかにも「JRらしい」駅張りポスターをいくつか撮っていましたので、時代の証人として登場してもらいましょう。

先ほども触れましたが、当時運転されていた在来線特急「はくたか」で越後湯沢に行き、上越新幹線に乗り換えて東京までJRで行こう!往復フリーきっぷがあるよ!というポスターです。上越線 越後湯沢まで乗り入れていた、JR西日本681系と、上越新幹線のE4系Maxが並んで描かれています。「ほくほく線」のおかげで、長岡で乗り継ぐ在来特急「かがやき」時代より、在来線特急「はくたか」はそれなりに東京までの時間距離を近くしましたが、乗り換えという大きな壁の解決は新幹線を待たねばなりませんでした。

先ほどの「首都圏往復フリーきっぷ」の宣伝幕です。首都圏の指定エリアで7日間も滞在できるなんてすごいですね。今って、こういうユニークなお得な鉄道きっぷはちょっと減少傾向な気がします。

そしてダメ押し!この駐車場に車を無料で停めていいから、東京へはJRで行ってくれ!たのむ!といわんばかりの勢いです。ここに停めて鉄道に乗っても東京へ行かなかった人はどうなっちゃったんだろう……? 何はともあれ滑川駅が、JR北陸本線の駅だったことの証明です。

今日はここまで!

いかがだったでしょうか。

今回は2011年ということで、まあ今年2023年から見ればたったの12年前ではあるのですが、当たり前だったはずのJR北陸本線の日常が、嘘みたいにすっかり変わってしまったんだよなぁ……と今更ながらに思います。ひっきりなしに「サンダーバード」「しらさぎ」などといった特急列車が、北陸と関西、名古屋を行き来する多くの人々を乗せて行きかう姿。在来線でありながら、それは北陸地方に欠かせない大動脈以外の何ものでもありません。北陸本線が築き、守ってきた人の流れが、真新しい北陸新幹線に引き継がれる。きらりと輝く新幹線の勇姿の陰には、長年背負ってきた肩の荷を下ろし、新幹線へ「あとは頼んだよ」といわんばかりに微笑む、北陸本線の凛々しい姿があることを、私たちは忘れないでいたいものです。

あさって2023年7月2日夕方に「北陸本線 その2」を公開しますので、ぜひ楽しみにお待ちください。

最後までご覧下さり、ありがとうございました。

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