2006年の高松琴平電気鉄道(ことでん)長尾線はこんな電車だった!-その2-

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こんにちは。10月の列車です。

2006年の9月。学生時代の私は、香川県の有名私鉄「高松琴平電気鉄道(ことでん)」をめざし旅に出ました。この頃はまだ、ことでん創立時からのオリジナル車両1000形、3000形、5000形をはじめとした非冷房の旧型電車が、平日朝を中心に現役で残っていました。80歳を迎えんとする大正生まれの電車3000形に長尾線で実際に乗車し、通勤通学ラッシュの最前線で奮闘する古豪電車を全身で体感したことは、一生忘れられない思い出となりました。

旧型電車最後の楽園「ことでん」。シリーズ2回目(最終回)は長尾線に絞ってお届けします。

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2006年、朝のことでん長尾線へタイムトリップ!

1+2の3両編成姿も、今や昔

丸い戸袋窓が特徴の、大正15年生まれ ことでん生え抜き3000形 300号車と600形を組みあわせた朝の3両編成です。まだ暑い9月、300号車は思いっきり窓が開いています。香川県名物の低いお山が印象的なショット。

こちらは3000形 315号車と、長尾線の緑色に合わせたお茶の広告ラッピングをした600形との3両編成です。ことでんという会社が変わりゆくさまを表した1枚ともいえそうです。この後、1300形など18mサイズの2両編成車両が長尾線を席巻し、快適な大型車体の冷房車を手に入れた一方、朝の3両編成はなくなってしまいました。

長尾線、朝の3000形に乗車する

撮影の後は、実際に乗車。ここは比較的新しい「学園通り」駅。やってきた高松築港行き 3両編成を先頭を切る、3000形 300号車に乗り込みます。

すでに車内は込み合っていたので、立ちながら前面展望。乗務員室との仕切りはパイプだけです。途中の駅から通学の小学生の子たちがどっと乗り込み、300号車の車内はたちまちギューギューに!しかし300号車はそれをものともせず、吊り掛けモーターの音も高らかにぐいぐいと加速して次の駅へと急ぎます。こんな日々を80年間、ずっと繰り返し走り続けて来たなんて。このとき録音などはしませんでしたが、なんとも言い表しがたい感動にひとり包まれておりました。私の鉄道体験の中でも五本の指に入るレベルです。

瓦町、片原町とだんだん乗客が減り、終点の高松築港でしばしの休息をする300号車です。貫禄と風格が十分、かっこいいです。この電車を「レトロ電車」と呼ぶのは何だか少し違う気がしました。80年たっても朝ラッシュの最前線で闘う、まぎれもない「現役」であって、演出された「レトロ」とは違うと思ったのです。

しかしそうはいっても、3000形など大正生まれ電車を一目見ようと訪れるファンのために、車両の紹介文書が車内に張ってありました。この当時は4両在籍していた3000形も、今はこの300号車と120号車が、仏生山の車庫内で事業用車両として残るのみとなりました。

そして瓦町駅。前2両の600形は出ていき、切り離された300号車は留置線に入庫、朝の一仕事を終えました。

夕方、1000形と5000形の思わぬ出番

長尾線で朝夕のラッシュ時間だけ運用される車両は、瓦町駅近くの留置線で昼寝するか、琴平線 仏生山駅の車庫まで回送されるかのどちらかです(多分今でもそうです)。夕方、仏生山駅から長尾線用の電車が瓦町駅へむけ回送されると知った私は、少し仏生山駅で様子を見ることにしました。

すると、夕方にもかかわらず、1000形120号車+5000形500号車+600形2両の4両編成の回送電車が現れました。旧型電車は平日朝だけなのでは?と思っていたので意外でした。これを2両ずつに分けて、長尾線の夕方ラッシュに投入するのかな?と期待したところ、その通りになり、1000形と5000形にも乗車が叶って嬉しかったです。

1000形120号車と5000形500号車が2両編成で、夕方の長尾行きの電車に充当されています。LED発車案内表示器もある近代的な駅に、ことでんの歴史を全て見てきた古豪電車が堂々と発着する。80年前の夕方も、こんな風に黙々と、帰宅の途につく人々を乗せていたのでしょうか。

上の写真を撮った後すぐ乗車し、瓦町→長尾→高松築港と最後の旅を楽しみました。こちらの車内は500号車。ペンキ塗りではありますがそれもまた、趣があります。スマートフォンではなく、懐かしい二つ折りのガラケーに視線を落とす乗客たち。いろんな意味で時を駆けてる1枚です。

終点、高松築港に到着。乗務員さんが500号車の貫通扉を開け、行き先表示板を差し替えています。昔からずっと受け継がれてきた光景が、途絶える前に目撃することができて本当によかったです。このあと、サンライズ瀬戸に乗って帰京したのを覚えています。

以上になります!

いかがだったでしょうか。

ことでんという会社も色々ありまして、古い殻から抜け出そうと奮闘しているさなかの2006年の乗車、撮影。古きと新しきがほどよく交錯し、個人的にも非常に思い出に残るものとなりました。会社が大変な状況の中でも、やむを得ずという側面も大きかったでしょうが、大正生まれの古豪電車、1000形、3000形、5000形、20形を大切に、かつ朝ラッシュの戦力として大いに活用していた2006年。後年彼らが一線を退いたあとも、イベント運転で多くのファンに魅力をふりまき続けました。現役100年を目前に本線を走らせるのを断念してしまったのは無念さもありますが、21世紀になっても大正の電車が第一線で走り続けていたという事実だけで、ものすごい事だと思わずにはいられません。長きにわたって古豪電車たちを走らせ続けてくれた ことでんの方々には、本当に頭の下がる思いです。貴重な体験を、どうもありがとうございました。

しかし、今のことでんも未来のことでんも、きっと魅力にあふれたものであるはずです。京急で廃車が進む1500形がまたことでんに仲間入りするのか?次の100年を目指して、ますます目が離せないですね。

最後までご覧下さり、ありがとうございました。

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