2004年の総武流山電鉄(流鉄)はこんな電車だった!元701系・元801系・元101系

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こんにちは。10月の列車です。

西武鉄道カテゴリに属していながら、今回は西武鉄道ではありません(笑 西武鉄道から譲渡された車両が活躍していることで有名な流鉄流山線(当時は「総武流山電鉄」でした)の、2004年の姿をお届けしようと思います。

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2004年の総武流山電鉄に、タイムトリップ!

当時の総武流山電鉄(2008年8月に「流鉄」に社名変更)は、いわゆる低運転台の701系顔の車両たちが活躍していました。つくばエクスプレスも開業前のため、ラッシュ時は多くの乗客が利用することから、2両編成だけでなく3両編成の車両も保有していました。

ラッシュ時は4本ある3両編成が、日中と夕方は2本ある2両編成が活躍するのが原則となっていましたが、この日は日中に2両編成の元701系「なの花」号と、3両編成の元101系「流星」号が運用されていました。

元701系の2両編成「なの花」号

元西武701系 757Fの中間2両の車体と先頭2両の運転台から構成された、2代目「なの花」号です。総武流山電鉄では2000形でした。2両編成だったことが幸いしてか、元新101系登場・ワンマン化後も最後まで残りましたね。

元101系の3両編成「流星」号

続いて、乗車したのは元西武101系 135Fのうち3両からつくられた、2代目「流星」号です。総武流山電鉄では、元101系は3000形+クハ30形でした。ラッシュ時用の3両編成ですが、まさか日中に乗れるとは思ってなかったのでラッキー!と思ったのを覚えています。後ろを通過する651系「スーパーひたち」も今や思い出ですね。

多数の編成が譲渡されていった元701系や元新101系に対して、初期型101系の譲渡はここ総武流山電鉄への2編成だけだったのがちょっと寂しく感じます。

「流星」号の車内です。黄色い壁紙がなんとも懐かしく感じます。窓の外には…!? 2本だけの常磐線各駅停車のレアキャラ、209系1000番台がいますね!!まさか当時は中央線に来るなんて夢にも思いませんでした。

小金城趾駅で、先程のなの花号とすれ違います。

流山駅に着きました。ホームに花を植えてあるのがローカル線らしくていいですね。

流山駅から一つ目の平和台駅から、馬橋行きの流星号が発車して行きます。車掌さんが顔を出しているのも、ワンマン化された今ではありえない風景になってしまいました。総武流山電鉄の車掌さんは、発車間際ギリギリに駅に来て飛び乗った乗客に、車内できっぷを売ってあげたりしていたのを覚えています。

元701系3両編成「明星」号

茶色ベースの塗色だったのが、元701系 745Fから構成された3両編成「明星」号です。右側に停まっているのがそうですね。

馬橋駅で眠っている「明星」号です。馬橋駅の流鉄線路のすぐ横は、今はビルが建っていますが、この当時は原っぱでした。駅前一等地なのにもったいない。

この「明星」号には結局一度も乗れなかったと記憶しています。

その他の編成

流山駅の検車区に、元801系の編成同士が並んでいました。左側の淡いブルーが元809Fの3両編成「流馬」号、右側の濃いブルーが元803Fの2両編成「青空」号でした。

西武801系は4連5本しか無かったわりに、総武流山電鉄に2本、上信電鉄に1本と過半数の編成が譲渡されていきましたね。上の2本に続き、上信電鉄での引退をもって801系ももうこの世には存在しなくなってしまいました。でも、良く活躍してくれたと思います。

駅に隣接して車庫があるの、ローカル私鉄感満載でとてもいいですね。手前にいる黄緑色の編成は?

元101系のもう1編成、131Fの3両から構成された3両編成「若葉」号です。小さな私鉄なので、これで当時の総武流山電鉄の所有車両6編成、16両を全て見てしまったことになります。ワァオ。

現在の流鉄は所有車両5編成、10両と規模が縮小していますが、その一方で「オムライス編成」など、面白い光景も見られますね。

今日はここまで!

いかがだったでしょうか。

まだ「総武流山電鉄」だった頃の流山線をご紹介しました。今後も、老朽取替の際は西武の譲渡車のお世話になるのでしょうか、注目したいところです。近くにありながらずいぶん乗りに行っていないので、たまには行かなくちゃ、と思いました。

最後までご覧くださり、ありがとうございました。

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