こんにちは。10月の列車です。
西武鉄道101系は、勾配の続く西武秩父線用に150kwの強力なモーターを搭載し、西武秩父線の開通した1969年(昭和44年)に、レモンイエローとウォームグレーのツートンカラーで颯爽とデビューし、当時なにもかもが新しい電車として西武鉄道に新しい時代を連れてきました。通勤にも行楽にも、街にも山にも走れる電車という事で、オールラウンドサービスカー、略してASカーという呼び名もあったそうです。
そんな101系も、デビューから35年が経った2004年12月、ついに「新101系」ではない初期型の車両が多摩湖線と多摩川線以外の本線系統から引退、支線用のワンマン対応車を残して廃車となることになりました。その廃車回送を兼ねた特別列車が、2004年12月19日、西武園駅から西武秩父駅まで颯爽と走ったのです。
先日(2022年4月)も、西武2000系2007Fの廃車回送ツアーが催されましたが、あれはコロナ対策もありますが乗車人数をかなり絞り、ツアー代金も高かったですよね。でも2004年のこの101系特別列車は、西武トラベル経由の旅行商品ではなく、所沢駅に朝(当日ではなく2週間ほど前だった気がします)、並んだ人から先着順に乗車券を販売し、乗車人数も座席定員以上にたくさん(8両編成に500名くらいだったでしょうか)販売されました。途中の西武球場前駅で催された撮影会も、特別列車参加者以外も自由参加で、おかげで最後の走りを味わえた人も、最後に記念のショットを残せた人も多くいました。
そんな初期型101系本線引退特別列車、私も早朝から並んで、幸運にも乗車することができましたので、そのときの模様をお届けしたいと思います。
2004年12月の西武鉄道へ、タイムトリップ!
西武園駅を出発、西武球場前駅へ
特別列車は、西武園駅を出発→東村山→本川越→所沢→西武球場前(撮影会)→所沢→飯能(下車可能)→西武秩父駅に到着 という行程で運転されました。
私はまず、西武園駅近くの撮影地「北山小学校裏」で、数人の撮り鉄さんと一緒に西武園駅へやってくる回送列車を待っていました。
列車が来てびっくり!すでに当時は使われていなかった「急行灯」が復活点灯していました。種別板を吊るすところに「回送」の板が、そして方向幕には特製のさよなら表示が差し込まれています。
西武園駅1番ホームに、熱い視線を浴びながら本日の主役が停まっています。新宿線701系列連結対応を示す、黄色い電気連結器カバーも再現されています!そしてヘッドマークの「旅立ち」。これがまた泣かせるデザインですね。
手前の1番ホームにいるのは特別列車の乗客、それ以外の人は奥の2番ホームから撮っている感じになります。この時点でこの注目度、101系の人気の高さが伺えます。
特別列車は西武園駅を出て、東村山駅で折り返して本川越駅へ向かい、また折り返して西武球場前駅へ向かいます。その車内では、車掌さんの面白おかしいアナウンスもありました。車掌さん自身の幼いころの経験談を交えて新101系のことを「ブラックフェイスの憎いヤツ」といってみたり、「優先席と前展望、後ろ展望は譲り合ってご利用ください」などです(笑
また、特別列車自体も、新所沢~本川越の長い直線区間では目いっぱいのスピードを出して、迫力のモーター音を響かせていました。乗客も沿線の撮り鉄さんも、酔いしれたことでしょう。
西武球場前駅の撮影会
特別列車は、西武球場前駅の5番ホームに滑り込みます。ここで乗客以外のファンも参加OKな撮影会が行われました。昼間という事もあって、すごい人数でした。
歴代のヘッドマークが展示されていました。急行奥武蔵と奥秩父の違いですが、飯能~西武秩父間は各駅に停まるのが「奥武蔵」、同区間でも一部駅を通過するのが「奥秩父」だったようです。
「旅立ち」以外のデザインのヘッドマークも作られていました。思い入れのある社員の方が、いくつものデザインを考えたのでしょうね。
幕回しや種別板の変更も行われていました。快速小川行き…!? 私の自宅にある昔の時刻表では、拝島線の終電は小川行きになっています。
むらさき色の小さな「最終」という板を掲げています。以前の(確か昭和55年頃までの)種別板はあのようなちっちゃいサイズだったそうですね。この最終が、一日の最終列車だったらよかったのですが、残念ながら この車両の最後の晴れ舞台です。
それにしてもすごい人、人、人!!!
やがて特別列車は、目的地の西武秩父に向かって再び出発しました。
私は飯能寄りから2両目のモハ197に乗って最後の旅を味わいました。ところが、元加治~飯能間で突然床下から「パシャーン!」という音が。そう、非常ブレーキが作動した音です。まさかこんな晴れ舞台で事故が!? それとも心無いファンが線路に侵入した!? ざわつく車内。しかし列車は停まることなく再び加速を始め、「最後の非常ブレーキ体験はいかがでしたでしょうか」と放送が…!!なんと、この非常ブレーキもアトラクションのひとつだったのです。廃車寸前の電車でしかできない芸当でしょうか。ブレーキシューの焦げるにおいに興奮していたひともいたことと思います。
飯能駅の特急専用ホームに到着、降りたい人は降りられるようにドアを開けていましたが、ほとんどの人が西武秩父まで乗り通しました。そりゃそうですね。
最後の山登り。山あいの線路をたくさんのファンを乗せて、またたくさんのファンに見守られながら進む101系。「最後の旅路を、このように皆様を乗せてたどれる101系は幸せです」みたいなアナウンスもあった気がします。本当にそうですね。横瀬駅手前では、特別列車の197F・193Fよりも一足先に廃車回送された175F・191Fの解体が始まっているのが車窓から見え、「もったいな~い!」と叫ぶ人もいました。
西武秩父に到着。横瀬へと去っていく101系
そして名残惜しいながらも、特別列車の終点、西武秩父駅2番ホームに滑り込みました。
雄大なる武甲山に見守られながら走ってきた101系。さぁ、惜別のときです。
ここでも本当に多くのファンが詰めかけていました。奥の線路終端の通路は普段は入れませんが、このときは特別に解放されていたんですね。
横瀬へと、一駅だけの廃車回送に旅立つ101系197F・193F。
さようなら。カッコかわいいスーパーヒーロー、101系。
このあと西武秩父駅では、仲見世通り中間の広場で(祭の湯など影も形もなかった頃ですよ)、鉄道部品か鉄道グッズをかけた抽選会があったと記憶しています。私は特に何も当たらなかったような…笑 でもいいんです。初期型西武101系本線系統引退、最後の瞬間に立ち会えたこと自体が、忘れられない思い出です。
最後に当日、特別列車の乗客が頂けた記念品の数々です。101系型の段ボールケースが可愛いです。
以上になります!
いかがだったでしょうか。
先輩の701系から受け継いだ、愛嬌ありながらもカッコよさも秘めた、シンプルながらも美しい顔を持った西武101系(初期型)。本線系統での長い編成や高速走行はほんとうにこの日でおしまいになりました。初期型101系は他社への譲渡がほとんどなく、流鉄(総武流山電鉄)への2本のみでそれも引退済み。今やこの顔も、現役で走っているのは三岐鉄道だけになってしまいましたね。
でも横瀬の車両基地には復活ツートンカラーになったクハ1224がいますし、くめがわ電車図書館のクハ1150も今はツートンカラーに復活、美しい姿で余生を送っています。18年も前ではありますが、私の心の中にいちばん残っている鉄道イベントは今回紹介した特別列車がダントツ一位です。多くの鉄道ファンの心の中で、西武の社員さんの心の中で、そして私の中でも。西武101系は今でも変わらぬ姿で走り続けているんです。
最後までご覧くださり、ありがとうございました。