2010年~2014年 西武鉄道3000系の一部が6両編成に短縮されて国分寺線などを走っていた! -その1-

この記事は約3分で読めます。

こんにちは。10月の列車です。

1983年 西武池袋線用に8両編成3ドアの界磁チョッパ制御車としてデビューしながらも、その後新2000系などと台頭による4ドア化の波に負け、2014年末に早々に全車両が引退してしまった、悲運の車両こと西武鉄道3000系。その車生はほとんどが8両固定編成での活躍でしたが、2010年からの4年間、2本の編成が6両編成の姿で、国分寺線などを走っていた時期があったんです。この記事の公開は4月1日ですが、ウソではなく本当に3000系の6両編成があったんですよ!

今回は、8両編成から6両編成に短縮されて活躍する2本の3000系、3005Fと3007Fの画像を集めてみました。3回シリーズでお届けします。ちょっと珍しい西武3000系の姿をご覧いただければ、と思います。

広告です

2010年代の西武国分寺線に、タイムトリップ!

所沢から恋ヶ窪まで、3000系で行ってみた

6両編成化された3000系の1本目、3005Fです。これは所沢駅で写し、このあと恋ヶ窪駅までこの3005Fに乗って行きました。
6両編成化の要領は近年の新2000系などと同じで、まず横瀬に回送されたうえで中間の4・5号車にあたるモハ2両(3005Fならモハ3205とモハ3206)を引き抜き、そのまま武蔵丘に戻って検査入場、そして6両編成として再デビューするという感じでした。当時はみなさん、まさか3000系が6両編成になるとは思わず、驚いていましたね。

6両編成化された3000系は、運転士さんも勘違いしないよう、運転台のナンバープレートがオレンジ色のものに交換され、「6」という数字もはりつけられていました。

恋ヶ窪駅に着きました。まだ青いデザインに変わっていない恋ヶ窪駅の駅名標と、国分寺に向けて発車していく3005Fです。

駅を出て歩道橋に上がったころ、3005Fが東村山経由の西武園行きとして戻ってきました。旧2000系の国分寺行きと並んでいます。

恋ヶ窪駅を発車した、西武園行きの3005Fです。検査を出たばかりなのでピカピカでした。

鷹の台方面に向けて走り去っていく3005Fです。国分寺線にも3000系が走っていたこと、どれくらいの方がご存じでしょうかね?

小川駅で、2本の並びを撮ってみた

ところ変わって小川駅です。3005Fの国分寺行きと、東村山行きの旧2000系の並びです。今考えるとなんてぜいたくな光景。この頃の国分寺線では、新2000系は比較的レアキャラだったんです。

20分ほど経って、国分寺から3005Fが戻ってきました。東村山行きです。

もう1本の6両編成化編成である3007Fと並びました。3007Fも3005Fと同じ要領で、横瀬にて中間のモハ3207とモハ3208を脱車して6両編成になったんです。左の3005Fは全車解体されてしまいましたが、右の3007Fは近江鉄道に譲渡されたので、300形の301編成として今も乗ることが出来ます。

鼻筋無しのブラックフェイスの並びです。まさか、これが小川駅で見られるときが来るなんて。

小川駅の複雑なポイントを渡って、3007Fが国分寺へ向かっていきます。

これは橋上駅舎の上から写した、3007Fの国分寺行きです。

すれ違ったのも3000系、3005Fの東村山行きでした。

今日はここまで!

いかがだったでしょうか。

3ドア8両編成としてずっと活躍してきた西武3000系の一部が、晩年6両編成になって走っていた光景をお届けしました。3000系は2000系と同じ界磁チョッパ制御でありながら、補助電源回路の違いで連結できず、10両編成の優等などで大活躍することはかないませんでした。もし連結できても、ドア数が違って混乱を引き起こしていたかもしれませんね。小所帯に終わってしまった3000系にとって、晩年の国分寺線での日々は最後の夢のような時間だったのかもしれません。

最後までご覧下さり、ありがとうございました。-その2- に続きますので、どうぞお楽しみに。

タイトルとURLをコピーしました