
こんにちは。10月の列車です。
札幌駅のとなりの桑園(そうえん)駅から分岐し、あいの里公園駅や当別駅などを経て北海道医療大学駅に達する路線「札沼(さっしょう)線」。最盛期の終点が留萌本線の石狩沼田駅ということで、「札」幌と石狩「沼」田を結ぶということで札沼線なのです。学園都市線という愛称もあるこの路線、今となっては全線電化の通勤路線という印象ですが、私が乗車した当時は路線が新十津川(しんとつかわ)駅までまだ通じており、電化もされていないのに利用者は多かったため、一般形気動車が最大6両編成で活躍するという迫力ある光景を見ることができました。前回までの日の翌日、札沼線に乗車した時の写真を今回はお届けします。
非電化時代の札沼線の、長い気動車列車を見に行こう!
北海道医療大学駅の6両編成気動車

北海道医療大学駅に停車している、キハ143形を先頭にした6両編成の気動車列車です。キハ143形といえば、北海道向け客車だったオハフ51形が余剰となったためエンジンを搭載して気動車に改造した、という珍しい車両でしたね。客車から気動車への改造車はまとめて「PDC」と呼ばれていました。

上写真のキハ143形の次の車両は「キサハ」。気動車に属しながらエンジンも運転台も持たない車両です。これも全国的に少ししか存在しないとても珍しい車両でしたね。長い編成を組む札沼線ならではだったともいえそうです。

新十津川方面に通じる、もう一本のホームから先ほどの6両編成を見ます。反対側はキハ40形でした。

しかし札沼線で使われていたキハ40は、だたのキハ40ではありませんでした。通勤通学での混雑対策として、車内はなが~~いロングシート。つり革もずらりと設置されています。ドアは増設されていないので奇妙な車両でした。

北海道医療大学駅から桑園(札幌)方面を望んだところです。
石狩当別駅(現:当別駅)に戻ってきた

ひと駅戻り、石狩当別駅(現在の当別駅)に戻ってきました。今は無き「新十津川」の文字が表示されています。

当時は「Kitaca」のデビュー間近でした。上写真でも簡易Kitaca改札機が準備されているのに気づきましたでしょうか。モモンガのキャラクター可愛いですよね。

現在は「当別駅」に駅名が変わったため、この駅名表示も背後の気動車も想い出の光景となりました。自治体として「石狩市」というのが現在はあるため、「所在地が石狩市ではないのに石狩を冠しているのは紛らわしい」といった理由で、「当別駅」「太美駅」になったと聞いています。

右側のキハ40-402号車に、キハ143-156号車を連結するところです。キハ40-400番台車は札沼線の石狩当別~新十津川のローカル区間用車両で、数としては2両だけあり、同区間の豪雪時走行抵抗対策としてエンジンを強化したもの。黄緑色のドアが特徴でした。

もう1両の400番台車、キハ40-401号車の新十津川行きが停まっています。これに乗って新十津川を目指すことにしました。
その5へと続きます!
いかがだったでしょうか。
6両編成が必要なほど現在でも利用者が非常に多く、重要通勤路線として君臨している札沼線。札幌出身の妻は冬季、高架化される前の札沼線による踏切渋滞に悩まされたといいます。色々ありながらも多くの乗客をさばいてきた、PDCや超ロングシートなど珍車両揃いの最大6両編成の気動車列車を体感できたのは、今となっては貴重な経験でした。電化された現在でも、札幌都市圏の重要交通網の一部であることに変わりはなく、その礎を築いてきたのは、珍車揃いで奮闘していた気動車たちであるということは憶えておきたいものです。
最後までご覧下さり、ありがとうございました。その5へと続きますので、どうぞお楽しみに!